2007年12月01日
葛飾北斎の変な癖
なんじゃこりゃ。
こんなこと聞いたこと無かった。凄い変な人だったんだね。
30回の改号と93回の転居
彼は生涯に30回と頻繁に改号していた。使用した号は「春朗」、「宗理」、「葛飾北斎」、「画狂人」、「戴斗」、「為一」、「卍」など。この改号の多さについては、弟子に号を譲り収入としていたからとの説もある。
また、93回に上るとされる引越しの多さも有名である(一日に3回引っ越したこともあるという)。これは彼(離婚して父親の元に出戻った娘の応為も)が絵を書くことのみに集中し、部屋が荒れれば(あるいは汚れれば)引っ越していたからである。最終的に93回目の引越しで前に住んでいた借家に引っ越した際、部屋が引越しする時となんら変わらず散らかったままだったため、それ以上の引越しを止めたそうだ。当然、食生活も大変乱れていたが、それでも90歳の長寿を全うしたのは、慈姑(くわい)だけは毎日欠かさず食べていたからだと言われている。
挿絵画家の一面
浮世絵以外にもいわゆる挿絵画家としても活躍した。黄表紙や洒落本・読本など数多くの戯作の挿絵を手がけたが、作者の提示した下絵の通りに絵を描かなかったためにしばしば作者と衝突を繰り返していた。数ある号の一つ「葛飾北斎」を名乗っていたのは戯作者の曲亭馬琴とコンビを組んだ一時期で、その間に『新編水滸画伝』『椿説弓張月』などの作品を発表し、馬琴と共にその名を一躍不動のものとした。読み物のおまけ程度だった挿絵の評価を格段に引き上げたと人物と言われている。一時期馬琴宅に居候していたことがある。
吉良家剣客の子孫
飯島虚心『葛飾北斎伝』によれば、元禄赤穂事件(忠臣蔵)で吉良方のヒーローとして扱われている剣客の小林平八郎には、娘が一人いて、その娘が後世、鏡師中島伊勢に嫁いでいて、その子が葛飾北斎なのだという。この噂の出所はどうやら葛飾北斎自身らしい。北斎はこのことをやたら自慢して歩いていたといわれる。真偽のほどはかなり怪しい。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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