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2008年04月09日

辛亥革命で起こった事


本当に不可解な点が多すぎる。
ますますなぞは深まるばかりですね。

辛亥革命(しんがいかくめい)とは、1911年に中国でおこった、清朝を倒し中華民国を建国した革命。

清朝末期、外国の侵略を防げず国内政治は混乱をきわめた。1911年、窮乏する国家財政を立て直すため清政府は鉄道の国有化を行おうとしたが、外国資本に国益を売り飛ばす行為として四川省で中国民間資本鉄道の国有化反対運動が起こり、それに乗る形で10月に孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱を起こす(武昌起義)と、14の省が次々と清朝からの独立を宣言。各省代表が南京に集まり、1912年1月には、孫文を臨時大総統に中華民国臨時政府を成立した。清朝は袁世凱に民国の討伐を命じたが、彼は民国側と交渉して、同年2月には宣統帝を退位させ、自分が孫文にとって代わり、いくつかの交換条件とともに大総統に就任した(この年を以って中華民国暦元年とする。なお、宣統帝は清室優待条件により退位後も紫禁城に居住し大清皇帝の尊号を用いた)。

中華民国は、アジア最初の共和国であり、同年3月には、基本法たるいわゆる臨時約法を公布している。

しかしその後、袁世凱は、孫文らとの約束を反故にし宋教仁暗殺、臨時約法廃止、一時は中華帝国皇帝になるなど反民主的・専制的な政治をしたため革命の理想はやぶれた。

革命側は、1913年の第二革命、1915年の第三革命で抵抗したが、敗北は明らかであった。その後、1928年の北伐完了までは、中国全土に軍閥が割拠する時代となった。

名前の由来は革命がおきた1911年の干支が辛亥だったためである。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
埼玉デリヘル
千葉デリヘル

2007年12月01日

葛飾北斎の変な癖

なんじゃこりゃ。
こんなこと聞いたこと無かった。凄い変な人だったんだね。

30回の改号と93回の転居
彼は生涯に30回と頻繁に改号していた。使用した号は「春朗」、「宗理」、「葛飾北斎」、「画狂人」、「戴斗」、「為一」、「卍」など。この改号の多さについては、弟子に号を譲り収入としていたからとの説もある。

また、93回に上るとされる引越しの多さも有名である(一日に3回引っ越したこともあるという)。これは彼(離婚して父親の元に出戻った娘の応為も)が絵を書くことのみに集中し、部屋が荒れれば(あるいは汚れれば)引っ越していたからである。最終的に93回目の引越しで前に住んでいた借家に引っ越した際、部屋が引越しする時となんら変わらず散らかったままだったため、それ以上の引越しを止めたそうだ。当然、食生活も大変乱れていたが、それでも90歳の長寿を全うしたのは、慈姑(くわい)だけは毎日欠かさず食べていたからだと言われている。


挿絵画家の一面
浮世絵以外にもいわゆる挿絵画家としても活躍した。黄表紙や洒落本・読本など数多くの戯作の挿絵を手がけたが、作者の提示した下絵の通りに絵を描かなかったためにしばしば作者と衝突を繰り返していた。数ある号の一つ「葛飾北斎」を名乗っていたのは戯作者の曲亭馬琴とコンビを組んだ一時期で、その間に『新編水滸画伝』『椿説弓張月』などの作品を発表し、馬琴と共にその名を一躍不動のものとした。読み物のおまけ程度だった挿絵の評価を格段に引き上げたと人物と言われている。一時期馬琴宅に居候していたことがある。


吉良家剣客の子孫
飯島虚心『葛飾北斎伝』によれば、元禄赤穂事件(忠臣蔵)で吉良方のヒーローとして扱われている剣客の小林平八郎には、娘が一人いて、その娘が後世、鏡師中島伊勢に嫁いでいて、その子が葛飾北斎なのだという。この噂の出所はどうやら葛飾北斎自身らしい。北斎はこのことをやたら自慢して歩いていたといわれる。真偽のほどはかなり怪しい。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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